奥さん麒麟はどうですか 第一回

こおろぎ meets 麒麟編

麒麟と私の出会いは、M−1グランプリ2000の・・・その数ヶ月前のことだったと記憶している。
当時大阪から東京へと拠点を移したばかりだったたむらけんじ氏がやっていたラジオ番組だった。
どういうシステムだったか、とにかくたむら氏のほかに、吉本の若手芸人が一組出演するという番組である。

ある日たまたま聞いていたら、麒麟が出演していた。
「きりん」
なんとなく聞いたことのあるコンビ名だった。
baseよしもとの公式ホームページかなにかで、名前を見かけたことがある程度だったのだろう。

その番組中でたむら氏は麒麟の田村くんにこう言っていた。

「今や、大阪でタムラといえば、麒麟の田村らしいやーん」

私にもある意味”見切り発車”に見えたたむら氏の東京進出であった。
東京という場所でやり始めたばかりで、大阪が少し恋しかったのか、
それとも東京へ行ってしまえば振り向いてもくれない大阪にすねちゃったのか、
なんだか私はとにかく知らないが(笑)、彼はちょっとぶーたれた感じでそう言っていた。

正直、そのときの記憶といえばそれしかない。
川島さんがちゃんとしゃべっていたのか、それも覚えていない。
麒麟のことだから川島さんがしゃべらなくちゃどうにもならない(笑)ので、
絶対にしゃべっているはずなのだが、「ええ声」というイメージさえなかった。

あぁ、私たちの出会いは、そんなに地味だったのか(苦笑)。

その後彼らに出会ったのがそう、中川家が優勝したM−1グランプリ2000であった。
その年はじめて開催されたM−1。
前評判というのがなんの賞レースでもあるものだが、中川家はダントツだっただろう。
私もその当時、中川家が大好きだったし、10年目である彼らに優勝してもらいたい!
という気持ちは強かった。
中川家くらいにしか目もくれてなかった私だった。

麒麟の”デビュー”は鮮烈だった。
ダウンタウン・松本の「こーれは、どうにもならないんですかね?僕は、今まででは一番よかったです」の一言。

私?
私はね・・・「ほほう」と思ったね。
なんだろう意外と印象は薄いかもしれない。
ただただ、舞台に出て行く前に映った川島さんの「ペコちゃん」顔が頭に残っていた。
なぜだ・・・!!

ただやっぱり、ネタは新鮮だった。
「妖怪えのき小僧」・・・・くくくく。
正直なところ、後にも先にもあの年のM−1で何度も見直したのは、麒麟のネタくらいだ。
それはもちろん、私が”麒麟のファン”になる前の話である。

M−1で彼らを見てから・・・そうだそうだ。
「マジっすか」この番組で、私と麒麟はぐっと近づいた。

「マジっすか」は、baseの黄金時代を象徴するような番組である。
そのスタイルは、確か何度か変わったのだが、その中でも心に残っているのは、フットボールアワーの企画VTRに出演した彼らである。
これまたうろ覚えであるが、その企画は「神社やお寺でおみくじをひき、ふたり連続で大吉を出したらゴール」的なものだった。
それで、「もし大凶をふたり同時に出してしまったら、麒麟と交代」というルールもあった。
まさか出ないだろ、大凶でふたり同時なんて!と思っていたら・・・

ひいてしまったのである。

「次週、麒麟が登場!」
すでに麒麟にちょっと心を”鳩”づかみくらいにされていた私は、麒麟の登場に鳩胸を躍らせた。

その次の週。2003年1月のことである。
彼らは「メエメエ」と言いながら登場。未年であったと記憶している。
カワイイ羊ちゃんのかぶりものを被って登場した彼ら。

最後は四人連続大吉を出してゴールしてた。
たった今、「マジっすか」の公式ホームページを見て確認いたしました。

しかし、私は一体いつから彼らの”ファン”だったのか?
それも正直わからない。「マジっすか」の時にはもう、そうだったのか?

きっかけはたぶん、田村裕の過酷な子ども時代を聞いてから、川島明の暗い子ども時代を聞いてから・・・。
「あぁ、あの子たちは大変な子ども時代をすごしてきたのに、なんて素直に育ってきたのだかしら!?」
そんな私の小さな母心と裏腹にネタではいつもいつも私をうならせる彼らに正真正銘心を”鷲”づかみにされ始めていた。

「マジっすか」とほぼ同時期に放送されていた「太っ腹!紳助ファンド」は、「人間マンダラ」の後番組だった。
人間マンダラもずっと見ていた私。あぁ、懐かしいや。
いっさいがっさいうえっさーい♪(わかる人にはわかる)

紳助ファンドでは、紳助氏をはじめ、ハリガネロック、ますだおかだ、海原やすよともこ、麒麟が出演していた。
特に松竹所属であるますだおかだがこれまで越えがたかった”事務所の垣根”を越え、
この番組に出演したことはちょっとした革命だった。
それもこれも、M−1があったから、らしい。

まだまだ頼りない感じの麒麟だった。
でもコツコツと、がんばってたよなぁ。

この番組では、田村がホストを一日体験するという企画があった。
このとき私ははじめて知った。
田村裕、彼の持病は

―――話にオチをつけられないこと

であることを。

それはもう、ひどいものだった(笑)。
しかし私はまだ分かっていなかった!田村裕のすごさを。


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